所沢で地域活動をしている方々の
インタビューをご紹介します。
核家族化、少子高齢化が急速に進む時代背景のもと、家族や地域内での支え合いが薄れ、高齢者や障がい者、育児や介護をしている人たちが社会的に孤立してしまうケースが年々増えています。そのような中、地域の身近な相談役として重要な役割を担っているのが「民生委員・児童委員」と呼ばれる方です。
日本に「民生委員制度」が創設されてから102年。所沢地区(旧町市街地14町)では現在49名の民生委員と3名の主任児童委員、計52名が厚生労働大臣から委嘱を受け、無償のボランティア活動で安心できる地域づくりに取り組んでいます。
今回は、所沢地区 民生委員・児童委員協議会の会長を務める小林ヒデ子さんに、長年続けている活動の内容や想いについてお話を伺いました。
小林 ヒデ子(こばやし ひでこ)さん
1948年、福島県いわき市の山村で生まれ育つ。1972年、所沢市金山町で安政3年から続く商家の5代目に嫁ぎ、雑穀の卸売商を営む。地域デビューは小学校PTAの支部長。中学校PTAの支部長も経験。1995年から所沢地区の民生委員・児童委員に委嘱され、現在は所沢地区民生委員・児童委員協議会の会長に就任。ほか、人権擁護委員、社会教育委員、健やか輝き支援委員、いじめ問題対策委員、埼玉県民生委員・児童委員協議会男女共同参画推進部委員、社会福祉協議会評議員、障害者自立支援委員を兼務。また、小・中学校から依頼を受け「郷土料理の伝承」の講師を13年間(2019年現在)続けているほか、得意な料理の腕前を生かして、「増田さんちの子ども食堂」と「金山食堂 だれでもランチ会」の主力ボランティアスタッフとしても活動。愛息3人を育て上げ、現在、家業の雑穀卸商店を続けながら地域ボランティアを続けている。
――民生委員・児童委員とは、どのような活動をされてるのですか?
「私たちは、地域住民の身近な相談役です。みなさん、何か困ったことがあった時に、誰に相談したらいいのか、どの機関に言えば解決するのか分からないですよね。そんな時は一人で悩んでいないで、まずは各地域にいる民生委員・児童委員(以下、民生児童委員)に相談して欲しいんです。市には社会福祉協議会、地域包括支援センターやコミュニティソーシャルワーカー(CSW)など、活用できるいろいろな人・施設・制度などがあります。民生児童委員は相談者の悩みに寄り添いながら、そのようなところへつなぐパイプ役をしているんです」
「私が担当している所沢地区は、西所沢、金山町、星の宮、元町本町、元町東、寿町、御幸町、東町、日吉町、旭町くすのき台、有楽町、北有楽町、喜多町、宮本町の計14町。所沢地区にある1万6,500余世帯のうち、民生児童委員1人が200~500世帯を担当しています」
――長年、民生児童委員の活動をされていて、地域住民のみなさんの悩み事に変化は感じますか?
「今年で民生児童委員になって24年になるんですけれど、当初は生活でお困りの方からの相談が多かったんです。今は児童虐待やネグレクト、家庭内暴力、認知症、高齢者への暴力、孤独死の問題といった、助けを求めるご本人からの声が聴取しづらい問題が多くなってきています」
――悩みを相談してもらうために、どんなことを大切にされてますか?
「民生児童委員は守秘義務のもと活動していますが、なかなか人にプライベートな話を打ち明けるには抵抗を感じるものなので、まずは信頼関係を築くことを大切にしています。民生児童委員の任期は3年ごとですが、たった3年で心を開いて話せる関係を作るのは難しいですね。だからこそ、地道にコツコツと24年も続けてこれたのかもしれません」
「“支援を必要としている人”に気付いてあげるには、普通に生活しているだけではなかなか難しい。だから私たちは、地域住民の方たちから気軽に相談してもらえるように、子供の登下校の見守り活動をしたり、地域のお祭り、自主防災訓練などに参加したりして、みなさんと顔なじみになるように心掛けているんです。顔なじみだと、ちょっとした会話から相談もしやすくなりますよね。そのようにして、私たちは日々異変の情報収集に努めているんですよ」
――日々の活動の中で特に気になっている問題はありますか?
「今、旧町地区にたくさんの新しいマンションができているでしょ。地方から親を呼び寄せている娘さんや息子さんが多くなっているんです。まったく知り合いのいないところに高齢の親を連れてきて、娘や息子は外に働きに出てしまい、昼間は知り合いもいないので親は家にこもって孤独状態。これが良くないんです」
「地方から出てきて引きこもりになる高齢者は、人との交流がないと出不精になり認知症を発症してしまうケースも少なくありません。そういう方たちも含めて、いかに地域で孤立する人をゼロにするかがこれからの私たちの課題だと考えています」
――“孤立ゼロ”にするために、今おこなっている対策などはありますか?
「地域包括センターや社会福祉協議会の方では、サロンを立ち上げるなどして高齢者が地域で交流できる機会を作っています。また、私も『金山食堂だれでもランチ会』というイベントを有志で立ち上げました。これは、社会福祉協議会で住民懇談会をして見えてきた問題から生まれたものなんです。孤立しがちな人を誘って、地域交流で不安を解消してもらうというのが狙いです」
――『金山食堂だれでもランチ会』とはどんな会ですか?
「昨年(2018年)2月から始めて、毎月第4水曜日に金山町公民館で開催しています。名前の通り“だれでも参加できるランチ会”なんですけれど、参加した人はお客さんではなく、みんなで一緒に料理を作って、一緒に楽しく食べます。これが好評で、毎回40名近く集まってます。参加費は200円で、金山町のみならず所沢地区にお住まいの方であればどなたでも参加できるので、是非多くの方に参加いただきたいですね」
「実は、この活動は金山町の町内会長さんのご理解があって継続できているんですよ。私たちの活動に賛同し、公民館の使用を認めてくださった上に『1年間続いたら、金山町の任意団体として認める』とおっしゃってくださって、今年度から公民館の使用料金が任意団体料金で安く借りられることになりました。1年目は社会福祉協議会から活動資金の補助が出ていたのですが、2年目からはそれもなくなるので、金山町の配慮にはとても感謝しています」
――そもそも地域ボランティア活動を始めたきっかけは何ですか?
「一番初めは、PTAの支部長でした。それを機に地域のいろいろな行事に関わることが多くなって、当時の町内会長さんから、民生児童委員をやってほしいと声をかけられました。私は幼い頃からいろいろな人の親切を受けて育ってきましたから、その恩を返せればという想いが常にあって。民生児童委員のお話も誰かのお役に立ちたいと思ってお引き受けしたんです」
「民生児童委員になると、地域の役職もいろいろ頼まれるようになって、ありがたく引き受けていたら、どんどん役職が増え、今では人権擁護委員、社会教育委員、健やか輝き支援委員、いじめ問題対策委員、埼玉県民生委員・児童委員協議会男女共同参画推進部委員、社会福祉協議会評議員、障害者自立支援委員と、民生児童委員の役職を含めて8つも頂いているんですよ」
――長年、民生児童委員をやっていて、辛い時期はありましたか?
「ありましたね。だけど乗り切りました。主人が平成24年(2012年)の2月に亡くなったんですが、その前の年に民生児童委員つながりで『人権擁護員』をやってほしいという話がきていて、その後、市議会で通過して『人権擁護員』に認定されたんです」
「これから人権の勉強も始めなくてはいけない。民生児童委員としても活動しなくてはいけない。加えて家業のこともある。主人が亡くなってから辛くて心の余裕はなかったんですけれど、辞めたいとは言えなかったです。おいおい泣いていられる暇もなく、とにかく突っ走って乗り切りました」
――生前のご主人は、小林さんのアクティブな活動についてどのようにおっしゃっていましたか?
「何も言わなかったですね。私自身が決めたことでもありましたし、私は地域活動で家を空ける時があっても、家族の食事作りだけは手を抜くことはなかったですから。それが良かったのかもしれません。食は“人に良い”と書くでしょ。食を良くすることで、心も健康も満たされますからね」
――お舅さんとお姑さんはボランティアで忙しい小林さんをどのように思っていたのでしょうか?
「舅は私が嫁いだ時に町内会長をしていましたから、2人とも地域活動には理解があったと思います。特に私がPTAの支部長をやっていた頃は、姑の応援があったからこそ務められたのだと思っています。あの時代はPTAも盛んでしたので、会合で夜出かけて帰りが遅くなることがあっても何も言わなかったですね。姑は学のあった人だから、視野が広かったんです。世間でよくあるような嫁姑問題はありませんでしたね」
「その姑が平成3年(1991年)、84歳の時にくも膜下出血で倒れてから平成8年(1996年)に亡くなるまでの間、現在のように介護保険制度がありませんでしたので、家族全員で介護をしました。嫁である私もこれまでの恩返しの想いで自分なりに一生懸命頑張ったと思っています。3人の息子の子育てをしながらでしたので、とても大変な時期でした」
――小林さんにとってボランティアとは何でしょうか?
「ボランティアというと、人のためにやっているようですが、実は、自分のためにやっているような気がします。例えば、子ども食堂。地域の子どもたちが成長していく姿が見られて、子どもたちの思い出づくりに関われていることが嬉しいと感じる。ボランティアをやっていなかったら、そんな気持ちになれるチャンスはないですよね。それに、人の世話ができるのは、自分が健康だから。病気になれば、好きな活動ができなくなるので、日々健康管理には気を付けています。そう考えていくと、結局、ボランティアは自分のためになっていますよね」
――今後どのような町、社会であって欲しいと願いますか?
「孤立している人がいない地域にしていきたいと思っています。新しく所沢に来られた方も家にこもらないように、地域で仲間づくりができるようなお手伝いをしていきたい。市役所でもサロンなどの地域交流が図れる情報を教えてくれてますけど、実際にそういった場に『行きましょう』と声をかけて行動を促すのが民生児童委員のこれからの役割かなと感じています」
「そして、私にはお手伝いをして下さるメンバーがお蔭様でたくさんいます。いつも助けて頂いて、感謝、感謝の毎日です。何をしても一人では成し得ないことですが、大勢の知人によって成り立っています。私一人では何の力もありません。“1人の100歩”ではなく“100人の1歩から”を目指して、地域のみなさまのご協力を頂戴しながら、これからも地域福祉活動を継続していきます。民生児童委員の活動は定年まで続けたいですね」
-インタビューを終えて-
「人と知り合い、世話をするのが好き」。2時間近くにおよぶ小林さんのインタビューで、何度も出てきた言葉です。民生児童委員は無償のボランティア活動。ご苦労も多い任務だと察するのですが、お話しいただいた1つ1つのエピソードが、苦労話ではなく、小林さんご自身の嬉しかったエピソードとして伝わってきました。
個人の情報が厳守されるこの時代、所沢地区が近代化した街並みに様変わりすればするほど、昭和時代のような“何でも話せるご近所づきあい”が薄らいでいくように思います。そのような変化の中、相手からの相談を待っているだけでなく、自らも見つけにいこうとする取り組みには感服しました。
これから所沢地区には新しい大型の集合住宅も建ち、新しい住民の増加も予想されますが、こうした民生児童委員さんたちの日々の活動と支援によって住民同士の絆もつながり、温かな地域に発展していくのではないかと感じました。